須河車体の歩み
2010年代
2016
- 2月 小西強、工場板金の卓越者として「現代の名工100選」に選ばれる。
2013
- 12月 本社工場にて500kwの太陽光発電設備稼働開始
2010
- 4月 京都府宇治市にて大久保工場の操業を開始。
2000年代
2009
- 3月 須河進一が代表取締役社長に就任。
ISO9001:2008の認証を取得。
- 3月 須河進一が代表取締役社長に就任。
2009
- 2月 カチオン・粉体塗装工場が完成。
2008
- 2月 ISO14001:2004の認証を取得。
2005
- 2月 ISO14001:1996の認証を取得。
2004
- 4月 宇治田原工業団地内で第二工場を稼動開始。
2003
- 10月 須河健市、死去。享年77歳。
2003
- 3月 VIPを用いた複合断熱パネルの製造方法の開発に成功。
ISO9001:2000の認証を取得(本社および東日本営業所)。
- 3月 VIPを用いた複合断熱パネルの製造方法の開発に成功。
2002
- 12月 タイ バンコク市に、Thai Sugawa Body Co., Ltd. とSugawa(Thailand)Co., Ltd.を設立。
2001
- 5月 須河健市が黄綬褒章を受章。
1990年代
1997
- 5月
中国河南省長葛市に河南須河車輌有限公司の工場が完成。敷地面積80,000m2。2トン車の箱車(パネルバン)、保冷車、冷凍車の製造から創業を開始。
- 5月
1997
- 3月
創業60周年を期に、新体制発足。須河健市が代表取締役会長に、堀口昇一が代表取締役社長に就任。
- 3月
1996
- 3月
中国に進出。河南黄河実業集団公司と合弁会社の設立で調印。中国という巨大市場に向け、新しい事業展開を図る。
- 3月
1994
- 11月
東京営業所を設置。
京都府知事表彰を受賞。
- 11月
1994
- 9月
スーパーハウスの生産開始。ハウジング事業に進出。
- 9月
1994
- 3月
仙台市太白区に東北営業所を設置。
- 3月
1991
- 11月
1500トンプレス1台、400トンプレス4台を導入。出荷ヤードを建設。
- 11月
1991
- 10月
須河健市、運輸大臣賞を受賞。
- 10月
1991
- 3月
藤井茂、工場板金の卓越者として「現代の名工100選」に選ばれる。
- 3月
1990
- 超低床フレームのかくだい2000kg〜4000kg迄シャシーメーカー側ワイド対応に伴うBODY架装
- 1991
新デザイン車
ハーフパレット7枚積み用清涼飲料水運搬車。サイド扉は新型のワンタッチロックが採用されている。コカコーラの全面看板が目をひく。コーラ100年を記念したデザイン。バックアイカメラ装置取付け安全対策。
コカコーラボトリング
- 1993
新配送システム車 パスポート21
パレット自動移動レーンを装備し積荷を前後に移動することが楽になった。後部扉は観音開き、積み込みの際、後部ルーフが上がり、リフト積みが容易。扉部にハンドトラックを装備できる。省力化したパレット専用車。
コカコーラボトリング
- 1992
にわとり専用2段積み車
にわとりを小型パックに入れて、1F床2F床に効率よく積載できる鶏専用運搬車。二階床は油圧で昇降できる。
アマタケ
- 1993
家財と愛車が一緒に運べる引越専用車
カーゴ壁面が、家財の量に合わせて前後にスライドするので、荷崩れのない安定した積載が可能。また、ノーズの長い大型乗用車の場合も、このスライド構造が威力を発揮。
アートコーポレーション
- 1994
二輪車積載用
観音扉の下に煽を取り付け、プラットホームでの作業が容易に出来る。2階フロアには脱着式のロープフックを取り付け、二輪車などの緊締に便利。
ホンダ運送
- 1996
薄型柱で開口幅をアップ
従来のブロードデッカーの後枠開口広幅タイプで145mmアップを実現、大きな荷物の積み降ろしも楽になった。その他2階床傾斜、大型荷受台等荷役作業に必要な機能も充実している。四輪車積み込みも可能。
アサヒカーゴサービス九州
- 1992
工事現場などでの打ち合わせなどに大活躍
コンパクトな外観とは反対に広く明るい室内空間を確保している。現場での打ち合せにも十分な会議スペース、豊富な収納棚、ビデオ付TV・冷蔵庫などのリフレッシュ設備も完備している。
ジーファイブ
- 1993
須河製ミニ・レスキューカー
各種消防救急用具を効率良く収納、かつ現場でのスピーディーな用具の取出しを行うための、様々な工夫が盛り込まれている上、ルーフに折り畳み式投光器、車体前部に強力ウインチを装備し、各種支援を行なう。
湯浅広川消防組合消防本部
- 1993
デザインを京都風にしたホテル客の特別輸送車
昔の牛車の御所車をイメージし、華やかな雰囲気をかもし出したホテル内での送迎車輛。
丸玉観光 ホテル紅葉
- 1993
モーターショー出展車 ラクニーⅡ
車体左右に上下運動開閉式シャッターを各3面配置した従来にはない新型車体。内部には油圧リフト式パレット台が四ケ所ついており荷役作業の省力化も計っている。「楽に積降ができる車」の意味。
コカコーラボトリング
- 1995
すばやく現地で司令本部を設置
外観にはフルオープンの4枚観音扉を使用し、積載物の取出し易さを向上、また積載物には酸素ボンベ、発電機耐熱服等消火、救急活動に必要な道具類を一式用意してある。内部横上部には巻上げ式のテント屋根も装備
大阪ガス泉北製造所
- 1994
引越の際、荷物と共に家族が移動出来る貨客輸送車
トラックシャシーを使用し、全部は家族、後部は引越用荷物を一度に積み込み。家族家具ともども引越を可能にした車輛。
アートコーポレーション
- 1996
競走馬長距離輸送車(キャブチルト車)
競走馬の輸送用として、室内は馬の健康と安全、さらに糞尿処理回収等衛生面にも配慮した。キャブから後部室内(厩務員室)へ人の移動が可能。厩務員室にはベッドを設け4名が就寝できる。
鷹野運送
1980年代
1988
- 12月
子会社である有限会社須河を設立。
- 12月
1988
- 5月
京都府宇治田原町に敷地面積41,804m²、工場面積10,423m²の新工場が完成。業界最高水準の生産設備で生産を開始。本社も同所に移転。
- 5月
1988
- 超低床フレームの開発、発表によるベイトラック(ルート、カー)(パレット配送)
- フルオープンスペースBODY架装
1987
- 日本コカ・コーラ(株)技術部と標準BODY架装取り組み
1985
- ベイトラックと称するオープンスペースの拡大(パレット配送車)
- BODY架装とリフトデッキ付ルートトラックの開発
〔日本コカ・コーラ(株)、いすゞ自動車(株)、新明和工業(株)、共同開発(4社)〕
1984
- 7月
溶接および組立ロボットを多数導入。高品質低コスト化を図る。
- 7月
1982
- ドロップフレーム車BODY架装主流パレット積載兼用BODY架装
1980
- 10月
平野弥介、死去。享年67歳。須河健市が後継に。
- 10月
1980
- 日本コカ・コーラ株式会社技術部と標準BODY架装取り組み
- 1984
ラック&ベイ車
前部レギュラー瓶。後部ホームサイズ瓶棚。最後部荷室はパレット積用のためルーフアップ型仕様。シャッターは後方開き。
コカコーラボトリング
- 1985
官ケースとビンケース混載車
第2、4室に缶製品積みのスペースとしたドロップフレームシャシのボトルカー。後部室は横開き式のシャッターを採用したオープンスペース。
コカコーラボトリング
- 1989
側面アコーディオン式シャッター車
両側面にアコーディオン式シャッターを採用した清涼飲料水運搬車。スライド扉よりも開口面積が広いことが特長といえる。パレット積みを容易にした。
コカコーラボトリング
- 1989
窓付ドアボディー
フォークリフトでの荷物の積み込みを容易にするため,リヤボックスのルーフを跳ね上げ式としたモデル。また、外部から内部の積み込み品を見られるように、サイド扉に窓が取り付けられているのも特長。
コカコーラボトリング
- 1982
家具展示車兼宣伝車
家具の展示を行うため内部が観察できるよう、外板部に大型窓を取り付けた。家具展示のため巡回した。
大塚家具
- 1989
標準ウイング車
側面開放車で床にはローラーコンベアを埋め込み、荷物を前まで容易に移動することが出来る。積荷に合わせて側面煽りを分割している。
ホンダ運送
- 1985
遊園地観覧用に座席を取り付けたオープン観覧車
遊園地内を巡回する観覧車でホイルベースを延長し座席を多く取り、ゆっくり場内を走る遊覧車。輸出用(中国)。
ダイハツ工業
- 1980
加工部品運搬側面開放車
当社で加工した自動車部品をパレット積みにて積載し納入搬送に活躍している。
須河車体
- 1981
小型トートライナー
少量運搬タイプ。側壁を特殊繊維で構成し、広々と全面解放が可能。張りつめると金属にも匹敵する強靭さを備え、積荷の圧迫に耐える。パレット積みによりトラック輸送が合理化された。
キリンレモン(キリンビバレッジ)
1970年代
1978
- 10月
海外視察中、大型輸送車「トートライナー」に注目。
イギリスのボアロイ社と、日本国内における製造・販売に関する技術契約を締結。ビール会社を中心に受注活動を開始。
- 10月
1978
- 4月
第一次オイルショックを乗り越え、業績が回復。久世工業団地内にメタル部品加工専用の第三工場を新設し、増加する受注に対応。
- 4月
1977
- T BOON FRAME BAYトラックの試作開発
- ドロップフレームの発表に伴いBODY検討および架装
1976
- BOTTLE:CAN製品積載室仕様専用BODY構造時代迎える
- パレット積載検討およびパレット積載専用室BODY DOME型架装
1974
- 1000ml BOTTLE発売に伴う兼用RACK、CAN製品専用積載室仕様BODY架装
1973
- 1月
マイクロバス部品(日産車体株式会社) ・二輪車部品(ホンダ運送) ・鉄道車輌部品などの需要拡大に応え、久世工業団地内に機械加工専用の第二工場 (プレス工場)を新設。
- 1月
1971
- RACK BODY仕様+CAN製品専用積載室仕様BODY架装 製品台車の開発
- 全国コカ・コーラ・ボトラーズ車輛関係者の集い
- SUGAWA BODY試作新製品の発表会
1970
- 4000kg RACK BODY架装開発試作
- 1970
万博用コーラ運搬車
万博期間会場内専用車。シロップタンク運搬車。屋根ホロ張り簡易仕様ボディー。
コカコーラボトリング
- 1970
高速道路運搬用
大型大量輸送。オールシャッター開閉式。缶ケースと瓶ケースを混載。ドライブインへ配送。
コカコーラボトリング
- 1971
低床ボディー車
ドロップフレームによる車高下げビン棚車。最大限既製品の積みおろしを楽にする。フレームの間とリヤ部は四段収納。
コカコーラボトリング
- 1975
シロップ専用車
荷室寸法を広く活用するため側面観音扉とする。自販機用。シロップ、炭酸ボンベ、紙コップ積載。棚式
キリンレモン(キリンビバレッジ)
- 1976
缶積み専用車
前部の一枚扉が後部へスライド式。後部は二枚引戸。オープンスペース。パレット積み荷室。
コカコーラボトリング
- 1974
特殊専用車 特別製外装を行った変型車
トンネル内、電気設備の点検車
岡山電気所
- 1974
簡易型移動図書車
バン車の後部左右を改造し書棚を設け跳ね上げ扉を二枚、日除けテントを内側に取付けた。
京都桂ライオンズクラブ
1960年代
1968
- 11月
中小企業庁長官賞を受賞。
- 11月
1968
- RACK BODY仕様が部分的に変化、変更されていく
1967
- 3000kg 3500kg RACK BODY架装
1966
- RACK SIDEにSHUTTER取付仕様技術開発および架装
1965
- RACK部材のAL合金押出型材の技術開発
- また、CAN製品の発売によるRACK側面スライド扉採用
1964
- 4月
京都市南区久世築山町の久世工業団地内に工場を新設し移転。工場面積4,300m2という大規模な生産体制に。ボトルカーの受注は冬場に集中するため、季節による業務量差をなくすべく、マイクロバス・鉄道車両・建設機械などのメタル部品も製造し始める。
- 4月
1964
- AL、RACK BODY TYPE120C/S-126C/S RACKが主流となる
- また、500ml BOTTLE発売に伴う兼用積RACK採用
1963
- 12月
株式会社須河車体製作所を須河車体株式会社に吸収合併。
- 12月
1962
- 国内初のAL、合金RACK BODY試作開発着手
- STEEL BODY部材をAL材にアレンジしたRACK BODY
- AL材の採用によりRACKガ美しく冴える
- TYPE108C/S-120C/S RACKとなる (2000kg)
1960
- BOTTLE、RACK BODY製作
- TYPE108C/S積み
- STEEL BODY (2000kg)
- 部分的にRACK側面にカーテン装着仕様も製作
1960
- 近畿飲料株式会社(元近畿コカ・コーラボトリング株式会社)の発注による、初のボトルカー製造に着手。その後、コカ・コーラの爆発的な普及と共に、ボトルカーは須河車体の主力製品になる。
- 1961
レギュラーサイズ 瓶積ラック車
ラック車当初のボディー。スチール製棚で横パイプは、ステンレスのパイプを使用。9例三段全部のみ四段でレギュラーサイズ瓶ケース120箱を積載。
コカコーラボトリング
- 1962
ラック車(オール棚式) 飲料水ビン積み
ビン入りケースを積みやすく、ケースが棚にはめ込み式となっている。固定しなくても積み込んだだけで落下しない。棚はアングルを組み合せステンレス製丸棒を通した。当初ボディーはスチール製であった。
中部飲料
- 1964
飲料水運搬車 パレット専用
大量輸送用パレット積みオープン車。瓶コーラケースを組み合わせたパレットをリフトで積み込み、荷台の床は左右内側に傾斜し荷崩れ防止に配慮。
コカコーラボトリング
- 1965
ドア付きラック車
レギュラー瓶120ケース積ラックボディーにサイドドアを取り付け看板を入れて商品の宣伝をした。
四国清涼飲料
- 1968
シロップ車
CO²ボンベ積載用棚。シロップ、紙コップ収納。後部棚缶ケース積みに使用。観音扉。側面二枚折れ扉を4ケ所設け、積荷の出し入れに便利。
コカコーラボトリング
- 1960
キャリアカー 軽トラック運搬車
二段積車。油圧ワイヤーで昇降。軽四輪車6台積み。普通車なら4台積載可能。
大阪三菱ふそう
- 1968
自動販売機運搬車 平ボディー
ボンネットタイプキャブ、荷台三方アオリ仕様、縦横根太及び床材にアピトン材を使用した頑強ボディー。鳥居上部荷受台付き。
コカコーラボトリング
- 1960
移動販売と宣伝を兼ねた車輛
放送設備と調理設備とを備えかつ大きな展示窓を設けた。宣伝車で調理中に人が外から見られるように跳上げ窓を設け調理指導車にもなった。
徳島ハム
- 1965
軽自動車にポータブル発電機型ボデーを架装した宣伝車
街中を走行するだけで誰もが注目するホンダ発動発電機を大きくしたボディーを架装した宣伝車。荷物もたくさん積める実用的なモデル。
大阪ホンダエンジン販売
- 1966
宣伝と販売を主とした車輛
トヨタ2.0のシャーシを使用し、全て手作りをした車体で、移動販売と宣伝とを兼ね備えた車。
日世フリーザ
- 1966
イベント用に開発した小トレーラ
各種イベント会場で野外販売を目的とした清涼飲料水移動販売トレーラーで、アイスクーラー方式。
コカコーラボトリング
1950年代
1959
- 4月
皇太子殿下ご成婚のテレビ放映がきっかけとなり、全国的にテレビが普及。コマーシャル放送が主流となり、広告宣伝車の受注は低調となる。
- 4月
1958
- 3月
須河車体株式会社に社名を改める。
- 3月
1956
- 5月
須河辰治、死去。享年49歳。
- 5月
1951
- 12月
株式会社須河車体製作所の発展的解散に伴い、京都市左京区浄土寺馬場町において須河車体製造株式会社を設立。平野弥介が代表取締役に就任。
- 12月
1950
- 広告宣伝手法として、スピーカーやステージを備えた広告宣伝車がブームとなり、広告宣伝車の受注が増え始める。
- 1957
タンクローリー 牛乳運搬車
牛乳を大量に輸送するために開発されたタンクローリー。タンク以外の側やキャブを製作した。
松原乳業 日野ヂーゼル自動車
- 1959
二段式荷台で二輪車及び農機具運搬車
二階床は固定式であるがより多く積込み可能で混積に便利。二階床が運転台の上まで延ばされてるので荷台が広く使用できる。二輪車が5台多く積める。
大阪三菱ふそう ホンダ運送
- 1951
特装トラック小型
低床式一方開き荷台。長尺物積載のため高所荷受台装置。
京都トヨペットSB
- 1952
宝くじ移動販売車 ラッキーカー
東は青森、西は下関まで日本政府発行の宝くじを販売し巡航、夢を売る車としてその成果は大きかった。PR放送設備、販売窓口、カウンターに宣伝嬢が同乗した。全国宝くじ発売初期のもの。一枚10円だった。特殊な窓は特許を取得。
日本興業
- 1952
架線工事車
リフト付き高所作業車。ウィンチで巻上げて上下作動。上部作業台枠は木製で折りたたみ式構造。
近畿電気工事
- 1952
広告宣伝車 編物友の会
車内での編物実演を行うことができる内装。埋込式スピーカーを天井広告板の前後に取り付けた。
東京トヨペット
- 1952
幌付小型トラック
天井は幌付き商品運搬小型貨物車。
コロンビア
- 1952
フラワーカー
生花の移動販売車。左右はガラスの二枚引窓で内部がよく見える。
大阪高島屋
- 1952
明治製菓オープンバン
製品運搬用トラック。屋根ホロ張り小型トラック。
明治製菓
- 1952
ライトバン
乗用車を改造し後部トランク部を継ぎたしライトバンに仕上げた。
堺電通
- 1954
新明和工業 宣伝車 エンジン屋
放送装置付き。後部ステージ付き宣伝カー。エンジンに形作られたボディーが人の目をひいた。
大阪トヨタ 新明和工業
- 1950
青い鳥 巡回教室
移動図書館車放送設備装置。書籍棚に書物各種を搭載。市内の施設等へ巡回した。ボンネットだけの裸シャーシから製作した。採光用天井窓付き
京都市教育委員会
- 1950
日本赤十字社レントゲン車(検診車)
京都府下一円を巡回し結核予防レントゲン写真診断に活躍した。シャーシから全て製作した。
日本赤十字
- 1952
京都市広報車
京都市政の広報活動のため市内を巡回した。ボディー全て手作りで製作。(後部ステージと放送設備あり)
京都市
- 1952
警察輸送車 デモ対策用護送車
デモの際、警察官出勤に活躍、輸送にあたった。投石による破損防止のため窓ガラスに金鋼枠を取付けた。
京都市警察
- 1959
ボンネットバス型 競走馬輸送車
ボディー内、周囲は畳や、毛布等で保護し二頭の競走馬が安全に輸送されるよう内装にも配慮してある。後部出入口タラップは手動ウインチで開閉する。
竹中運送
1940年代
1948
- 4月 京都造建株式会社から車両部を独立。京都市南区唐橋羅城門町において株式会社須河車体製作所として操業開始。須河辰治が取締役社長に就任。
1946
- 5月 創立者である須河大一、死去。享年49歳。創業以来、共に歩んできた弟の須河辰治が後継に。
1946
- 1月 京都市南区竹田街道十条で、京都造建株式会社車両部としてトラックボディーの生産を再開。
1945
- 8月 終戦の混乱により、一時工場閉鎖。
1941
- 3月 第二次世界大戦への突入により戦時体制はますます強化され、軍関係の需要が増加。京都市南区西九条御幸田町(十条通大宮)に新工場を設立し、全面移転。大津市の西岡ボディーを吸収し、個人事業から株式会社組織となる。須河大一が代表取締役社長に就任。
- 1948
手作りによる平ボデー 大型トラック
エンジンとボンネットの状態のシャーシから全て手作りで完成させた。運転台は木製(樫や樽)で外枠を組み屋根は1.0ミリの鉄板を張った。窓はガラスが上下する様ベルトを引き戻しした。ボディーのアオリは火作りで平鋼を曲げて、作った。当時月に6台〜7台を製作。
京都運送
- 1949
ダンプカー
油圧機器は米軍からの払下げの部品を使い、荷台ボディーを製作。外車の古手を修理して組み立てた。
京都いすゞ 京都市役所
- 1948
小型トラック
裸のシャーシから運転台及びボディー全体を製作。高床、欄干付き一方開き荷台。当時の標準小型トラック。
京都トヨペットSB
1930年代
1937
- (昭和12年)12月 創業
「日本三大西洋鍛冶」の1人にも選ばれるほどの優れた西洋鍛冶職人であった須河大一が、京都市下京区中堂寺南町に須河車体製作所を創立。京都初の国産トラック専門工場としてトラックボディーの架装を始める。
- (昭和12年)12月 創業